小さじ一杯の
こぼれ落ちてくる空のような
グリーグのピアノ協奏曲イ短調の
印象的な冒頭のフレーズが
なぜだか頭の中に鳴り響いた
目の前には
一面のバターカップが
そよそよと可憐に揺れているというのに
バターを溶かしたような色をした
小さなカップの形の花を
一本 二本 摘む
左手に握ったそのささやかな日常は
小さじ一杯ほどの幸せ
これをぐつぐつと煮えている
どうにも美味しそうに見えないスープに
ぐるぐると混ぜ込んだら
どうなるんだろう
奇跡のように
鍋ごと幸せな味付けになるのかな
それとも
5mgなんてあっけなく
飲み込まれてしまうのかしら
まるで運命が音を立てて変わるような
そんな激しさを持つメロディに
絡め取られていく
胸を締め付けられるように
草を食むお母さんの傍にいれば
なんの心配もいらないとばかりに
ごろんと寝転がった子ひつじに
ついさっき頬を緩めたばかりなのに
えいっ
思い切って目をつぶって
鍋に放り込んだ
恐る恐る中を覗き込んでみれば
相変わらず美味しそうに見えない
スープはそのままで
バターカップの花は二本寄り添って
爽やかにゆらゆらと浮かんでいる
私の中のピアノ協奏曲は
二楽章を奏で始める
名残を惜しむような
甘やかな旋律に
そっと息をこぼす
不意打ちで降り出したお天気雨に
ほんの少し眉をひそめながら
虹を探して辺りを見回す
見つからなくても別にいい
どうやら
小さじ一杯ほどの幸せは
たったの5mgだけど
鍋いっぱいにしなくても
ずっと消えたりなんかしない
5％でもなく
50％でもない
100％の幸せだから
誕生日
明日から六月よ
この半時間の間に
そう伝えるのはかれこれ五回目で
あらまた私ひとつ歳を取っちゃうのね
と新鮮な驚きに満ちた顔で
微笑むのもかれこれ五回目だけど
記憶はさらさらと
指の間からこぼれ落ちていく
積もることもなく
澱のように滞ることもない
ほんの少しだけあった
ためらいも
野バラの花びらが孕んだ
雨の雫のように
いつしかどこかに消えていった
彼女はあたかも
小さな獅子のように
勇ましく凛々と
ごく自然に全てを受け入れたから
今度の日曜日には
九十回目の誕生日だよ
ときっとあと五回は伝えるだろう
あらまだ八十九回目じゃなかった？
といたずらそうに輝く目で
こちらを揶揄うように答えるだろう
その度に
嬉しそうに
彼女は今を生きている
昨日も明日も
まるで余分な荷物だったように
潔くどこかへ置いてきた
彼女は今を生きている
ごく軽やかに
小さな箱庭のような
幸せな記憶だけつれて
青 島 江 里
シロツメクサ シロツメクサ
どこにでもありそうな公園の一角に
シロツメクサの原っぱが広がっている
空はチョーご機嫌の青空
大切な大切なお米で
つくったおむすび二人分
トートバッグに詰め込んで
ただっぴろいわかみどりの色へ
ここは僕たちにとって
手をのばせば
いつでもすぐに届く
遠すぎも近すぎもない場所
世間の連休もとっくに過ぎた月の終わり
ちょっと調子はずれの
君と僕だけの休日を始める平日の午後
僕たちにずっと約束されているものは
かなしいくらい何ひとつなくて
毎日が不安と不安定のジェットコースター
いらない乗り物チケットみたいな日々
だからせめてお互いの行ける日に
行けるところへ行きたいんだ
あとさき考えている余裕も
無いって言ったら
無い方に入る現代のせいかもしれない
君が握ってくれたおむすびは
お米だけを結んだだけではないのだよ
僕たちの日頃の空のことだとか
誰かや何かに助けられたり
助け合ったりして
どうにか食べてこれたことだとか
僕たちに関わってくれた人たちの
ありがたさのアレコレを君が
ふわっとひとつに結んでくれた
贅沢でまっしろな
ありがとうのかたまりでもあるんだ
いつも好きなものは後回しにしていた僕
今日はいちばん先に好きを噛みしめている
風のきれいな時間には
後悔のないようにできるだけ
脱力深呼吸をしている
おむすびをほうばっている君の姿
そのなで肩がいとおしくなって
今すぐ小人になって
自転車を乗り回したくなった
叶えられない世の中でのあれこれ
ぜんぶ忘れて今すぐ
君のなで肩をついぃぃぃと
まぶしい銀の車輪で滑り降りて
飛び込んでみたくなる
生まれて間もない風にのって
この原っぱのどまん中へ
そしてむせかえるような
緑の匂いの真上で
君がさやとさやと笑っていてほしい
井 嶋 り ゅ う
蜂
叔父の法事で連れて行かれた母の生家は山の上にあった 当時小学
生だった私がすることは何もなく 忙しなく動く大人たちの間をす
り抜け 急な坂道を下って 山の麓にひとつだけある商店へ向かっ
た 店主の名だろうか個人名の入った少し錆びついた看板を掲げて
いる店内へ入ると 洗剤や調味料や漫画雑誌が木製の棚に並べられ
冷凍庫や駄菓子 文房具やくじ付きのアイドル写真などが入口の近
くに置いてあった ちょっとした買い忘れなら十分に間に合う品揃
えだった 閉めた硝子の引き戸に大きな蜂が何度もぶつかって そ
の度にぶうぶうとわめいていた 私と一緒に入り込んだのか それ
とももともと中に居て 迷走しているうちに逃げ損なったのか 大
きいだけで覇気のない様子で飛んでいた アルコール中毒だったん
だって 夕べ母は生前の叔父の日常を語った 愛想を尽かした嫁が
家を出て行ってからはますます酒にのめり込んで 部屋の中は荒れ
放題で 新聞や空き缶空き瓶 踏みつけたバナナや饅頭 破り取ら
れた帳面や描きかけの絵などが散乱し それらを掻き分けるように
倒れていたという 静かすぎてうるさいのだと近所の人たちに漏ら
しては 何がうるさいのだと問うても だから酒を飲むのだとか
俺を監視するなだとか 呂律の回らない舌で答えるだけで ああ言
えばこう言うあの男は言い訳ばっかりだと呆れられていたという
うるさいのではなく本当は怖かったのではないかと母は言った そ
の理由を何となく聞きそびれたまま 私は坂道を上がって下って
いま蜂を見ている ぶうぶうと彷徨っている蜂 叔父も逃げ損なっ
たのだろうか 一度閉め切ってしまえば繋がることが出来ない営み
があって もう一回もう一回と やれば出来るのだからおちぶれる
なと 耳元でたぶらかす静寂にそそのかされるたび 水のように浸
透していく透明な液体に体を浸しては ぶつくさぶつくさと 柔ら
かなものを踏みつけてはそれを掻き集め じっとりと憂いを帯びた
まなざしが 窓硝子のあちこちにぶつかるたび ぶうぶうと 出口
が外側にあるのか内側なのか 見分けられない境目で 叔父も夜に
はぐれたのだろうか 奥の暗がりで地蔵のように座り込んでいる老
婆が私を見ていた 何か買わなければと冷凍庫の扉を開け ソーダ
味のアイスを取り出して渡すと ケーキ屋も出来たんでえ と前か
らなのか後ろからなのか どきりとするほど近くで低い声が響いて
急に店内の広さがわからなくなった 引き戸を開けると 蜂が嘘の
ように勢いよく飛び出し 陽射しで真っ白な道路へ溶け込んで見え
なくなる ぴたりとは閉まらない戸をそのままに 袋から棒アイス
を取り出してしょりしょりと齧り 私はまた急な坂道を上がる
齋 藤 純 二
僕らの翼
僕には自由な翼がないけれど
君のやさしい微笑みで
何度も何度も救われてきたんだ
その微笑みは青空を透かし
飛ぶことの意味を教えてくれる
だからどんな時でも
僕は大事にしたい君の微笑みを
冬の冷たい風に吹かれ
夏の強い日差しに打たれ
君から微笑みが奪われそうになったら
僕は命がけで守ることができるんだ
君は僕の翼だし僕は君の翼なんだから
夏 生
遅れてきた時間に
出勤の朝、駅ホームから
音割れしたアナウンスが通常を破って響いた
誰かに阻まれた朝の動きは凝り固まった
「本日、列車が遅れますことを
お詫び申し上げます」
詫びるのは当の本人ではない理不尽が鳴る
たわんだ時間を諦めて束ねて持ち歩く
「日本人はえらいですね
揉めないできちんと並ぶ」
いつかのどこかの国の人の言葉が過る
これ以上の滞りの方が怖いからです
なんていらない回答をする
駅員さんに罵声を浴びせるおじさんの中の人は
きっと同じ
今、駅に入っても電車は来ません。
遅延を避ける方法、と検索すると出てきたのは
一時間早く出る、だったことに関して
おじさん並みの罵声を浴びせたくなった
そんなことを検索した自分にも
これが遅延の原因じゃないのかと強く目を瞑る
仕事場に遅刻の謝罪を送った直後
「遅延で大変だったね。こちらは大丈夫だから
焦らないで気をつけてきてください」
職場の上司からの返信に憂いがとけていく
人はきっと救い救われ、奪い、奪われを
毎日経験している
人生を左右するかもしれないなんて
思いもしないで
あ さ ぎ
お嬢ちゃん
ワシは木だ
生まれてからこのかたずっと木だ
ここ数年人間の数が増えていると思っていたら
奴らワシの横に住処をつくりはじめおった
まあ、仕方がない
奴らも生きるためのことだろう
生存競争というやつかな
ワシは日を浴びなきゃ生きられん
奴らの住処より高くならにゃいかん
そうこうしている内に奴らの住処がにぎやかになってきた
「これは二階へ運んでください」
「それは一階へお願いします」
「ねえ、ママ。ここが新しいおうちなの」
「そうよ。あなたの部屋も二階にあるのよ」
「すごおい」
「ちょうどあの木に面しているのがあなたの部屋の窓よ」
お嬢ちゃん、こんにちは
お嬢ちゃんも生きるためにここに来るんだね
お互い生きるためにずいぶん高くなったもんだよ
その日からお嬢ちゃんとの挨拶がワシの一部となった
「おはよう」
おはよう
「おはよう」
おはよう。今日は雨だな
腹一杯水をいただこうじゃないか
「おはよう」
おはよう。今日は晴れだな
さあ、浴びるぞ
お嬢ちゃんは時々ワシに登った
「うわぁ、すごおい。私の部屋が見える」
お嬢ちゃん、落ちるなよ
しかし、不思議なもんだ
ワシに登ることが生きるのに必要なんてな
まあ、ワシは別段困らんが
お嬢ちゃんが来てから三度めの雪解け
お嬢ちゃんの両親が声を張り上げている
何かが割れる音がする
お嬢ちゃんは部屋で耳をふさいでおった
泣いておった
おいおい、水分がもったいないぞ
それから幾日かが経った
お嬢ちゃんは母親に手を引かれこの住処を出ていきおった
おい、おい、お嬢ちゃんや。大丈夫なのか
生きるためにここに来たんじゃろ
ここを離れてしまって生きていけるのか
それ以来お嬢ちゃんの部屋は暗いまま
お嬢ちゃんは枯れちまったんだ
生きるためにここに来たのに
ここを離れちまったんだから
水も日も手放しちまったんだから
お嬢ちゃんが離れてから何度目かの雪解けだろうか
忘れちまった
けど、お嬢ちゃんのことはなぜか忘れられなかった
だからすぐわかったさ
小さな小さな子どもを抱えた女がワシの幹に触れたんだ
ああ、お嬢ちゃんだ
「すごいなあ。この木まだあったんだ。懐かしい」
お嬢ちゃんこそすごいな。生きていたとは
おいおい、泣くなよ。水分がもったいない
「また会えてうれしいよ」
うれしい。うれしいってなんだい
けど、あの時泣いていたのとはちがうな
それはわかるぞ
ワシは生きるために生きてきた
生きるために必要なことは知っておる
それ以外は知らん
しかし今、それ以外を知りたくなった
水も日も今は後回しでいい
お嬢ちゃんにまた会えた
新しく知ったことだ
初めて知ったことだ
お嬢ちゃんや、ワシもうれしいよ
綴 木 黎
恋
一輪の
花を見て
気が付いた
種があるから
花は
咲くのだと
気になる人が
最近出来た
それは
あれかもしれない
急過ぎて
理性は
付いていけない
今までも
駅で見かけたり
すれ違ったりしてきた
たまに話しても
何とも
思っていなかったのに
蒔かれた種が
ドキドキと
私の心臓部へ
訴えてくる
気のせいかと思いたい
違和感に
すれ違うたびに
これは何かと悩む
あの人が
目の前に
飛び込んでくる
嬉しい方が
先に
勝ってしまうようだ
一歩前へ
勇気を出して
笑顔で声をかける
また
お会いしましたね
種は
恋の花
少しずつ
伸びていけばいい
そして
もう一輪
隣で
咲いてくれますように
かすみ じゅん
忘却へ散り行け
どうでも良かった
事なんだろう本当
きっとあの蟠りは
だけどどうしても
ここは譲れないと
拘り曲げられずに
引掛かり胸の奥が
むず痒くなっている
だのに儘に平然と
鏡に写る綻んだ顔
どんな悩みもない
そんな素振り見せて
分からないよな
これが自分なんだ
偽りの無い事実
外は繁く漫ろの雨
ばらり弾けて往き
夜を濡らす音色が
世界で起こった
昨日の全ての問題
洗い浚い溶かし
さっぱりとまた
真新しく今日の日を
塗り変えてくれる
何時ものことでも
格別に思える今宵
これが嘘だって
別に構やしない
穏やかに揺蕩う心に
あ 今宵は raining
梅雨入りしたかな
真夜中の部屋に
と 投げ出した躰
瓦屋根の上を
外物置の上を
車のbonnetの上を
ことこと雨が歩く
傘は差さない主義だけど
思い浮かべてしまう
黒い地面が鳴り止まず
あちこちに出来た
水溜まりを避けて
漫ろ行く道程
やっぱcopy brandの
鞄の logo mark
派手に傾れ込む
T-shirt 着てるみたい
喧しくもあるし
賑やか過ぎでもある
至極当然の事でも
たわいの無い
そんな妄想が
在り来たりの事でも
とっても幸せで愉快な
気分にしてくれる
弾ける水玉模様に
ちょっぴり
萎んだ昨日は救われ
嬉しさ込み上げて来る
中雨降りの夜
富士伊 真夜
がんばるがんばらない配信 一
配信アプリ
いろいろある
私はその全てを試した訳でもなく
それらについて
もっと見聞を重ねた存在もあるだろう
配信アプリを
二つに分けるとしたら
もろに課金前提
課金前提ではあるものの無課金でもある程度何とかなる
この二つではないだろうか
もろに課金前提配信アプリは
本当に配信で稼ぎたい人向けである
リスナーも課金者しかいないと思う
無課金リスナーが手を出すにはハードルが高い
私は後者の無課金リスナーでもある程度遊べる配信アプリの経験がある
がんばるがんばらない配信 二
無課金リスナーの存在を許す配信アプリの話だが
そこには課金リスナーもいる訳である
その差はその溝は大きい
無課金リスナーを嫌う配信者もいる
話はそれるが
無課金リスナーを許す配信アプリは
たいがい
いろんなシステムで
無料コインを配布している
ある程度コインが貯まると
大きなアイテムが投げられるようになる
一コインアイテムもある
配信者は毎日
数字と戦っている
配信者同士が
ランク、順位、成績
その数字で
戦っている
それがもろに時給になる
ある配信アプリでは
無課金だと
一日百コイン回収が上限
ひと月で約三千コイン
それ以上は課金をしないと無理だ
配信アプリもある意味
私は推し活だと思っている
確かに
芸能人ではないものの
配信者を推すのである
E、D、C、B、AそしててっぺんのSタイが存在する訳だが
無課金リスナーの私は
課金前提の配信に行ける訳もなく
配信を拝見してコイン回収を許してくれる配信しか
行けない訳
配信アプリを仕事にしている一部の配信者は
無課金リスナーのことを
犯罪者扱いする
コイン泥棒だと
こういう理屈
お試しで
無課金でコイン回収できるシステムがある
いつまでも
それを利用するのは
ドロボーである
飲食店に入ったら
お試しなんてなく
お金を払うだろうと
がんばるがんばらない配信 三
私はコイン回収をうたっている配信を見ていた
ランクはB
月初め
三日間は
アイテム禁止にして
四日目アイテムが解禁になった
これは
月初め数字が高いためである
おやすみのチケットを使いランクを月初め維持して
ある程度数字が下がった日に
アイテムを投げてもらうという作戦
これはがんばる配信であり
おやすみチケット配信は
がんばらない配信である
がんばるがんばらない配信 四
月初め
がんばらない配信の時から
コイン回収に通い
気に入って
がんばる配信日にも
配信を見に行って
結局
二百アイテムくらい
投げた
これは
他のコイン回収配信をもまわって集めたコインである
がんばるがんばらない配信 五
がんばる配信日
無課金リスナーの私の心は冷めた
アイテムが飛ぶ飛ぶ
無課金には無理な大きなアイテムが
飛ぶ飛ぶ
豪華なエフェクトが
スマホの画面に現れる
配信者の声も違う
私はそっと配信を離れた
コイン回収枠をうたっている配信者
還元不要だと言っている
私はそうしようと決めた
アイテムが飛んでいた
だけど
その配信者が
コイン回収枠で
還元不要と
表立って言っている
深入りするところだった
ある程度
還元して
深入りはやめようと決めた
この配信アプリには
配信者のファンクラブみたいな制度もあり
この配信者も
配信中
入会を勧誘していた
入会しない
配信者の配信の数字も
見れるようになる
これは暗黙の
数字を作るのに
協力しなさいみたいな制度にもとれる
そういうところもある
深入りは禁物だ
課金したところで
上には上がいる
こんなところで
なんか
魔にはまるところだったような
気がしなくもない
寵愛を得るために
課金したところで
毎月その数字は
リセットされて
またやり直しである
それをどう取るかは
自由
配信者にしても
リスナーとの関係は
割り切っている
それを
理解するかしないかの
差である
課金した数字を
配信者から
尊いと肯定されて
自己肯定感を得るのも
自由である
水 無 川 渉
空の青さを
きみの上には空がある
ぼくの上にも空がある
きみの空は青い
ぼくの空も青い
だがきみはそれを「青」とは呼ばない
きみの言葉でそれを何と呼ぶのか
ぼくは知らない
きみの「愛」も「希望」も「いのち」も
ぼくには分からない
きみの上には空がある
ぼくの上にも空がある
だがその空の下で
きみの家族がきみを何と呼ぶのか
ぼくは知らない
でもぼくらの空はつながっている
その証拠に
澄みきった青空の上を
ほら
ぼくらのミサイルが往き来している
……
きみの「祖国」の上に
きみの家族が「敵」と呼ぶこの地の上に
今日も青空が広がっている
その空の下にぼくがいる
きみがこの空の下にまだいるのか それとも
きみの家族が泣きながらきみの名を呼んでいるのか
ぼくは知らない
でもまだ間に合うならば
この柔らかな草の上に寝そべって
一緒に空を眺めたい
そうすれば
たとえ言葉は通じなくても
この空の青さをきみと分かち合えるから
まだ青空を美しいと思えるうちに
まだ人は分かり合えると思えるうちに
まだ 間に合うならば
滝 本 政 博
眠れない夜
もらった手紙には
「あなたがギャングでも愛します」と書いてあった
わたしはギャングではなかったが
女とは不思議な発想をするものだと思った
一緒にスケート場に行った
はじめてだと言っていたがすぐにコツをつかんんだ
運動神経のいい子だった
幼いわたしはうまく愛することができなかった
あのときのあなたを親切にしたい
もしいま出来る事なら
後悔でいっぱいの人生だ
もう起きてしまった恥ずかしきことの数々
無かったことにはならない
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
わたしと一緒に東京まで逃げてくれたあなた
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
こうして目を瞑っていると
かくれんぼ とうせんぼ
もう見つけることは出来ない
行きどまりの場所にあなたがいる
あやとりが絡まったみたいに
ほどけない想いがある
ねえ どうしてわたしはあなたに出会ったのだろう
ポツポツ 思い出が降り顔に当たる
あの日 二人 薄く汗を着て
抱き合って切れ切れの眠りを眠ったね
あなたとわたしは千にも分断されて
朝が来るのを遠くに引き伸ばした
何度も目覚めては抱きしめ合った
わたしだけの十字架
時を刻み過ぎゆくは
寄せて返す波音か
幸せであるように
いつもいつも祈っている
時は流れた
流れる雲は知らん顔
だが眠れない夜には思い出すのだ
紗 野 玲 空
八甲田山雪中行軍を悼む
資料館入口 亡魂の嘆きが響く
八甲田山 雪中行軍記念像
凍てつく静寂に 立ち尽くす
後藤房之助伍長 仮死の眼差し
吹雪に抗い 虚空を睨む
一九〇二年一月二十三日
青森歩兵第五連隊 二百十名
田代新湯を目指し 雪海に挑む
危機管理の欠如 無知と慢心の果て
猛吹雪は人智を嘲笑う
極寒と飢えは 狂気を誘い
百九十九の魂 永遠に凍る
生還は僅か十一名 凍魂の傷を負う
同年一月十四日
弘前歩兵第三十一連隊 三十八名
雪を踏破し 生還を果たす
雪山の民の導き 万全な備え
生死の岐路を 乗り越える
八甲田山に問う⋯⋯
同じ雪中にて 運命を分けたものは何か
自然の理への畏怖心 それのみか
雪玉の如き 小さな個々の虚栄と欲望が
絡み合い膨らみ 凍死の禍となったのではないか
陸軍は対露の旗を掲げ
責任を天災に押し付けた
無謀な命令が 行軍を餌食とした
尊い若き命を 雪に葬った
武士道を騙り 真実を歪める
無益な戦争への執念よ
歴史に深く刻むべきである
軍国主義の亡魂 捻れた組織の過ち
弘前隊の壮挙は闇に沈められ
青森隊の悲劇は戦争の鼓舞に
凍死者は英霊と飾られ
靖国の祭壇に名を連ねた
*
資料館の硬い椅子に座し
多行松の常磐の緑を眺める
八甲田山に散った亡魂 風と泣く
白い墓標 整然と並ぶ
我れ一人 慟哭を胸に圧し殺す
凍える意識 壊死してゆく恐怖
雪中に想ったのは 国の大義ではなく
愛する家族 故郷の灯火であったろう
八甲田山から生還した 弘前隊の福島大尉も
三年後の日露戦争 雪の記憶を胸に散った
八甲田山の惨劇は 戦争を資さず
戦争に価値など 微塵もなし
令和の世 今なお追悼の行軍は続く
自衛隊の雪中踏破 慰霊の灯は消えぬ
だが 軍事の美化を繰り返してはならぬ
悲惨な戦争の助走とされた 八甲田山の悲劇
虚しい大義名分の前 翻弄され犠牲となるのは
常に 力なき者たちであることを
決して忘れてはならぬ 風化させてはならぬ
八甲田の雪の如く 年月積もれども
春まだき 八甲田は白く凍てつき
春の足音 届かず遠く
忘れじ 雪の慟哭を
荻 座 利 守
ネジバナを、観る
路傍の植え込みに咲く
ネジバナよ
螺旋を描いて昇りゆく
淡い紅色の花序を
微風に揺らめかせながら
おまえは
私に観られるために
今そこに咲いたのか
永遠とも思える
時の流れの中で
私の視線を
受けとめるため
引き寄せるため
過去という時の
ある一点において放たれた
その貧しく微細なる種が
大地の揺籃の内に
芽を顕し
根を忍ばせ
葉を掲げ
その花の色形を
今という時に
投げかける
その今とは
過去を牽引する今
その過去とは
今を投射した過去
ネジバナよ
おまえの誇る
螺旋を描いて昇りゆく
淡い紅色の花序は
永遠のうちに潜む
一瞬の機会を
引き出し
組み上げ
延展し
時の流れを止めて
過去と現在とを
混淆させる
溶融させる
統合させる
精妙なる結晶体なのだ
そしてネジバナを捉える
私の視線も
私の精神も
私の魂もまた
時の流れを超えて
現在より過去を
連結する
接続する
統合する
この宇宙の顕現なのだ
路傍の植え込みに咲く
ネジバナよ
おまえと私との間に
今
世界が開かれる
秋 冬
ブランコ乗り
滑り台が
怖くて
ブランコばかり
乗っていた
鉄棒が
憎くて
ブランコばかり
乗っていた
砂場が
苦くて
ブランコばかり
乗っていた
いつも一人だった
少年は
中年になっても
一人 ブランコに乗る
かったるい
が消えていく
消えてしまいたい
が溶けていく
わたしは
公園のブランコ乗り
頭上では
烏たちが
嗤っている
ゆっくり
静かに
ゆったり
揺れる
五十年
なんて
あっと
いう間
だった
わたしは
笑いながら
泣いている
あっと
いう間
だった
なんて
嘘八百
わたしは
泣きながら
笑っている
飽いた
烏たちは
山へ帰っていく
ブランコ乗りも
そろそろ
帰る時間だ
メダカたちが
待ちわびているぞ
お腹を空かせて
日 記
〇月✕日
(202△年)
点
展
天
典
電
伝
殿
田
てん
てん
てん
てん
でん
でん
でん
でん
今日も雨だった
(202□年)
一年前の今日の日記を
どういうつもりで書いたのか
思い出せない
一年前の今日も
雨だったようだ
哀しかったのか
虚しかったのか
浮かれていたのか
ふざけていたのか
一年経つと
忘れてしまうらしい
昨日の晩飯すら
思い出せないのは年だから
仕方あるまい と年のせいにする
悪い癖は治らない が、仕方あるまい
来年の今日
世界はどうなっているのだろうか？
来年の今日
僕はどうしているのだろうか？
一年先のことは
分からないけれど
たぶん
来年の今日も
雨だと思う
静かに
三年日記帳を
閉じる
と大きな欠伸がひとつ、ふたつ
みっつ
僕の日記は
眠り薬だ
売り出したら
儲かるかもしれないな
おやすみ
なさい
歩く人
何もかも面倒になって
サンダルを脱いで
裸足になった
熱いし
痛いし
恥ずかしい
ここから
家まで
十分足らず
火傷覚悟
擦傷必然
赤面上等
で歩き始める
何も終わらないし
何も始まらないし
何も変わらないけど
何もしないよりはまし
わたしは今
アスファルトではなく
人生を歩いているのです
熱くて 痛くて 恥ずかしい道を
とことことことこと
山 雀 ぐ り
夢の歌
楽器はふしぎ
歌うのが得意なくせに
自分からは歌わない
私が弾けば歌うけど
弾かなければ黙ったままだ
いやいや歌っているのかな
本当は歌いたくないのかな
楽器が自分で歌ったら
さぞ美しいことだろう
私が弾くよりもっと自由に
けがれない愛を歌うだろう
いつのまにか午睡していた
ギターを隣りに置いたまま
どのくらい眠ったろう
微かな音で目が覚めた
やわらかな光のような
川面わたる風のような
おりしも夕陽
私はなおも眠ったふりで
薄目をあけて聴いている
バチュ
日曜日の昼下がり
細長い部屋の中で
赤の他人が十数人
同じ時空を過ごす不思議
しかもこの不思議は走る
町の中をのろのろと
窓の景色は走馬燈
流れ流れ消えていく
まるでスモールワールドだ
みんなうつろな顔をして
ある者はスマホし
ある者は居眠りし
バチュバチュと
最初はしゃいだ幼な子も
今はもう黙りこくって
ぼんやり外を眺める
いや それは俺か
もう何年 いや何十年
ここに座っているだろう
行き先も分からないこのバスに
おや 止まった
ドアが開く
ありがとうございました
品のいい老婦人が降りていかれた
妻 咲 邦 香
昔の人
昔の人は迷ったらしいよ
迷って塞いで恨んだらしいよ
私たちにはまだ早いよね
うーとか、あーとか、頭抱えて
真似して言ってみたいよね
昔の人はくすんだらしいよ
くすんで転んで守ったらしいよ
ぴーとか、ぱーとか、大袈裟なふりで
くっついたり離れたりしてたってね
悲しい人が
無事に悲しんでいいことになって
どれくらい経つんだろう
あの頃は死ぬことでさえ怖かった
彼らだけが先に歩いていった
朽ちることを急ぐあまりに
動けない僕たちをここに残して
置いてけぼりにして
丸くない時の太陽はおおらかで
誰もお土産をあげようとは思わなかったらしい
ロードショーの値段も今のだいたい半分で
チュロスを買えばオマケに寿命までついてきた
いろんなサービスがあって
それが当たり前だった
今から雨が降るってさ
七百年ぶりだって
昔は生涯一度も見れない人もいたらしい
僕たちはラッキーだね
あの日希望を選ばなくてよかった
僕たちを置いていった連中に
ついてかなくてよかった
蛾が本当は蝶になるって
科学者でさえ知らなかった時代
笑っちゃうよね
歌っちゃうよね
豊かな空想だけがあって
何かを誰かのためにしてあげないって
想像も出来なかった時代
行ってみたいな
ちょっと怖いけど
おもしろいかな
山 本 葉 月
小学一年生の昼休み
準備にも行動にも
何かと時間のかかる
ほんの小さな子供だった
私には昼休みはいつも短すぎた
給食をなんとか食べ終わると
昼休みがやってくる
きらきらした日が差す校庭に
我先にとみんなが走り出す
靴箱はみんなでいっぱいになる
人混みに紛れると
私はいつものように
少しだけ息苦しくなる
だからほんの少しだけ遅れて
小走りで校庭に向かう
私は校庭の隅にある
お気に入りの花壇を目指す
夏に向かう花壇が特に好きだ
へちま きゅうり 朝顔の
蔓が何かを掴もうと伸びている
支柱に掴まりながら伸びている
その奥につり輪の遊具
掴まりなさいと私を誘う
小さな私は一生懸命
手を伸ばす ぐーっと
空に向かって 私は吊り輪に
めいっぱい手を伸ばす
うんうん唸って背伸びする
すると私の体から緑の芽が
蔓がぼわっと伸び始めるのだ
ぐんぐんぐんぐん伸びて伸びて
遂に吊り輪にからみつきそうになる
これでいい もう少しだ
にっこり笑うと
もう昼休み終了の音楽が鳴り始めている
なんにもない昼間
たまに訪れるなんの予定もない
なんの音もしない昼間
そんな時は家の近くを散歩する
道筋に大きな蛙の滑り台が目立つ公園がある
こんな日は誰にもすれ違わない
五月の少し汗ばむ気温の中
公園の前にさしかかると
少し遠くから
学校のチャイムの音が聞こえてくる
しんとしていた空気が揺れる
揺れる揺れるゆったりと揺れる
導かれるようにいつものベンチに腰掛ける
視界の端に最近塗り替えたばかりの
鮮やかな赤いブランコが揺れている
そのブランコにはいつの間にか
白髪交じりの小さな老女
静かに揺れている
風もない 音もない公園で
赤いブランコと老女だけが揺れている
ゆーらゆーら揺れている
ゆーらゆーら揺れている
そのうちさきほどのチャイムが鳴り始める
終わりましょう 微かな声が頭に響いて
ブランコが止まる 老女も止まる
私はゆっくり立ち上がって
なんにもない昼間の続きを辿る
田志 健斗
影 絵
あなたのこめかみが透けていて
その奥に
馬乗りになるひとの影絵が走っている
影の手は濡れていた
ぽたり ぽたり
雫が落ちる
影はみなひとしく黒い
それを初めて
ありがたいと思う
わたしの前で
上手に笑うのを
やめてもらえますか
祈
歌の裾は締まって
幸せを切り分けてばかり
非フォーキーな季節さ
パンタロンはほつれて
鼻の高さを競うのがみえる
生きていられること の話だけを
していくわけにはいきませんか
産毛の彼女が指先を焦がしてまで
蝋燭を持たないでいられるように
自然な仕草で
次にあかりが灯るように
非フォーキーな季節さ
海風はどこからか 火の粉混じりさ
花火は地に降らない
凍えたものは掌に包まれる
教わらずとも知っていた
教わらないから忘れてしまったの
日本、東京、わたし
いくさばに生まれなかったけれど
生きていられること の話だけを
していくわけにはいきませんか
いのちの話は恥ずかしいですか
秋 さやか
蜘 蛛 ─小茂田青樹「夜露」によせて─
あざみの棘に
夜がひび割れた
ように見えたけれど
あれは
あざみとあざみを繋ぐ
蜘蛛の糸
かすかに震えて
月夜の晩に奏でられる
風の伴奏
細くしなやかな弦に
夜露とあざみと月光が
絡まった
ひとつの世界へ
私の視線は捕えられ
糸に囲われた闇は
思想で埋め尽くされているから
もう何も語らなくていい
鼻を掠める
どくだみの匂いだけで
じゅうぶんに語り尽くされている
わたしたちは始まりから
捕えられていた
蜘蛛の歩みに
だからこそ
もがいている
もがいてももがいても
あざみの癒えない痛みを
どくだみで麻痺させるだけで
わたしたちはいつまでも
ひび割れた夜を塞げない
虫たちが歌っている
歌いながら死んでゆく
蜘蛛の一部となるために
わたしたちは歌えない
終わらせる覚悟がないから
糸を震わせて
星空を奪い合うだけだ
あざみは尖り続け
どくだみは癒し続ける
明けない夜の果て
夜露とともに
ひとつの音色となって
こぼれ落ちるまで
ま る ま る
大人になるまでの道を歩いて
長女の服を買いに二人で出かけた
お昼過ぎ ただいま と自宅に戻ると
弟が玄関までお出迎え
何買って来たの？
ごめんごめん お姉ちゃんの服買ったんだよ
夕飯が済んで 一息
そう言えば パートの契約の更新時期だ
続けようかなどうしようかな
頬杖ついて考えていると
隣の椅子に長女が座った
見ると本気の顔つきをしている
ねえ 辞めないで
お友達の旅行のお土産を
今の仕事なら もらえるでしょう
それが自分の楽しみだから
他の会社に変えないで と
別の日 公園前の横断歩道には
小さな自転車の男の子とお母さん
お友達を見つけたようだ 公園に向かって
〇〇くーん お菓子もってきたよ
子どもたちの言う そんな言葉が忘れられずに
何度もなんども 思い起こす
思い起こしているうちに
耳に聞こえた言葉の後の
表に出ない声が聞こえる
みんなの本当に言いたかったこと
家で待っていた弟は
お土産が欲しかったわけじゃない
帰って来るの待ってたんだよ
今どこかなって気にしてたんだよ
とか
辞めないで って言った長女は
仕事をしてるお母さんの様子が
頭の中で形になった
やっと安心できるのに
そのお母さんを 替えないで
とか
公園で一緒に食べようね
ママと一緒にお菓子選んだよ
笑いながら選んだよ
ぼくとママはお菓子を持って
楽しかった時間と一緒に
今ここに来たんだよ
とか
言葉じゃないところにたくさん
本当に言いたかったことがある
そういう事が 今ならわかる
繰り返し思い起こすことで私は
確かめていたんだ
この子たちの本当の思いを
小さい子どもだった私が
大人になるまでの道を歩いて
わかってあげられるようになったということを
そして子ども達は何の心配もなく
大きくなっていく
両親の望むレールからは
大きく逸れてしまったけど
踏み外さずに来られたねって
そんな風に言われた気がする
子どもたちは私たち大人が守るという
当たり前の
全ての源となる循環の一部に
ちゃんと自分も居られることを
誇りに思う
弟に手渡す包みはなくても
帰って来たことが一番のお土産
いっぱい買って帰ってきたよーって
抱きしめてあげたらよかったんだね
上田 一眞
渓谷の風
渓谷 をひとり歩く
薫風 が吹いている
五月の森
鮮やかな緑がまなこを染める
崖下に湧く 清水
掌で掬い 喉を潤す
溢れる山水の心地よき味わい
河原の岩陰に石を組み上げ
夜露を凌ぐ寝床と
竈を造る そして
枯れ枝を重ねて火を起こす
燃える 火
流れる 煙
揺れる 心
谷あいに月の光は届かず
次第に濃くなる闇
赤いシュラフに身を包み
焚き火の側でまどろむ
そして
渓谷を吹き抜ける風音に耳を澄ます
風音は 脳髄を貫き
〈自然〉現象から離脱して
次第に
夢の深みに収まる
古い生家
裏庭にある琵琶の木のざわめき
重なり合う松籟
安寧の日々を顧みる私
何たる至福…
火中で木はぜる音に
覚醒する
ふと見上げると
向う岸の黒い森 その深みの中で
かう かう かう
と物の怪が啼く
ああ まただ
また あやつが現れた
私の心中に棲む鵺
あやつは過去に拘泥する私をいつも嗤う
角砂糖のごとき自分の心が
崩れ
懐古の夢が たちまち
崩壊する
そこには
ただ 柔らかい風が吹いている
私の
全てを包む晩春の夜風だ
く れ
海をみる
海をみています
波の音を聞いています
ときどき混じる声は悲鳴のようにも聞こえます
立ちつづけることに
疲れたといってはならないのでしょう
ときどき水平線の方から
怒号も聞えてきます
寄せる波も、返す波も
無情になる時間がまだあるようです
海をみています
いわき市平豊間の防潮堤の上に立っています
ブロンズ像だと言う人もいるのですが
生きていたという証がここにあります
孤独な時間は
潮に錆びる時間でもありますが
名前は地元の方がつけてくれました
それから「海をみる」と呼ばれています
孤高の立ち姿だと言う人もいます
海をみています
ここで起こったことを忘れないようにと
２０１６年１２月から立ちつづけています
雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も
ときどき霙が降る日も
漁師が船上で海と語り合っている姿なのだと
人は言うのですが
３．１１に重ねると鎮魂の姿にもなります
地域の復興を見守る重い約束があるのです
それでも長く一人で立つことは
寂しいことなのです
海をみています
波をみています
水平線をみています
ときどき空をみています
たくさん涙も流します
冬には咳込むこともあります
夏になると影だけなのですが
そっと隠れるようにして海に入ります
こんな小さな秘密を持ったまま
立ちつづけています
瀬 未
ルーレット
雨上がりの朝
どこかで
ひっそり
キジバトが鳴いている
手のひらから
砂がこぼれるように
目覚めるたび
しずかに消えていくもの
薄らいでゆくものがある
そっと身を起こし
おそるおそる伸びをして
二の腕をさすりながら
窓を開けると
水気を帯び
濃くなった緑の匂いが
部屋じゅうに満ちていく
やわらぐ痛みに
遠のく肌寒さ
しなやかに育つ草木の気配
春の名残りと夏のはしり
その境は
いったい
どこにあるのか
規則性はあるようでない
行きつ戻りつ
時に嵐あり雷あり
のらりくらり
季節は
いつのまにか
私の目を盗んで
まわるまわるルーレット
残像にいくら目を凝らしても
まどわされるばかり
それに昨夜の夢だって
もう思い出せないくらい
霞みがかっている
空耳の午後は
みぞおちの辺りが重たい
仕方のないことが多いからだ
確かに失ってゆくもの
諦めて受け入れるもの
（あれ？
勘定があわないな）
（あれ？
感情があわないな）
国道沿いのファミレス
はためく幟(のぼり)には
トロピカルフェアー
カラフルな文字が躍る
夏への扉は
案外近くにあるのかもしれない
ざわめく店の片隅で
よく冷えた台湾パインを齧る
芯まで甘いパインに
くっきりついた歯形
（ルーレットの軸は
どんな味？）
たとえ
オールインする度胸はなくても
（予定調和でいいんじゃない？）
ざわめきは
やがて
心地よいＢＧＭ
私は
さらさらとこぼれる
ざわめきの一部となって
この曖昧な季節を超えてゆく