ハナミズキ
枯れていくハナミズキを摘んでいる手など
いっそ枯れ落ちてしまえば良いのにと
そんな事を思いながら
僕は初夏と呼ぶにはまだ早い
六月を迎えていた
新緑と呼ぶにふさわしい葉を眺めては
葉脈一本一本のその廉直さに嫉妬した
眺める空さえそうだ
雲は外連味のない風に吹かれ
太陽ですら 穢れなど知らぬとばかり
僕を見つめるのだ
それに比べ 五月に降る雨は優しかった
火葬場で所在無げに立ち尽くす僕の顔を
雨粒が伝い落ちていった
火葬場の隅で真っ白に咲くハナミズキも
雨に濡れていた
あの子を悼んで降る雨に
僕はひと時身を委ねた
小児科医として救えなかったあの子は
小さく 冷たい骨となった
しかし 焼かれてもなお
これほどまでに美しいものか
悲しみもすべて削ぎ落とされた
その白い姿は より一層愛おしかった
僕は小指を一かけら 静かに骨壺に収めた
雨粒に濡れるハナミズキの白は
あの子の小指の色
エンゼルボックス
亡くなったあかちゃんを
自宅まで連れて帰る時に
あかちゃんをいれる箱の事を
エンゼルボックスと言う
土曜日の昼下がり
小さな小さな箱が
お母さんに大事に大事に抱かれながら
おうちに帰ろうとしている
おじいちゃんもおばあちゃんも
親戚のおじさんもみんな
涙を隠さないで
それでも医療者に
深々と頭を下げながら
病院を後にしようとしている
医療者は皆
少しうつむき加減で
それぞれに込み上げる思いと
向かい合っている
悲しみ
後悔
呵責
懺悔
箱の中の顔が
安らかなのは皆の救いで
最後まで主役は
あかちゃんであった
あかちゃんを乗せた車が
見えなくなる
最後に一つ
クラクションが
天に響いた
さくらちゃん
春に生まれたから
さくら と名付けられたその子は
三度目の春に 息を引き取りました
ご両親が泣き叫ぶ中
医者二年目の私も 涙を堪えながら
心臓マッサージを行っておりました
初めて向かい合う患者の死を
受け入れなれないでいる私は
心電図がその子の死を告げた後も
蘇生処置をやめる事が出来ませんでした
そして蘇生の終わった病室で
私は残酷な現実を
受け入れざるを得ませんでした
蒼白い顔 内出血した腕
見開いたままの突き刺すような瞳
心臓マッサージの時に折れた肋骨の感触が
私の手のひらに蘇りました
十四時二十七分 死亡確認
今までの喧騒が嘘のような
淡々とした死亡宣告の後
私たちはご両親に深々と頭を下げた後
病室を後にしました
さくらちゃん
許されるなら私も
最期に君を抱きしめたかった
患者の死とは 敗北であり
いつまでも救われる事のない
魂の傷なのです
その傷と共に
今日も新たな患者と向かい合うのです
おんま だっこ
韓国語で母親の事を おんま と言うらしく
みれいちゃんは よく
おんま だっこと ねだっては
お母さんにだっこしてもらっていました
医者二年目の私が みれいちゃんの
カルテに記載した病名は拡張型心筋症で
心臓移植以外助かる見込みのない病気でした
春の陽差す渡り廊下をスキップしながら
病室に向かうみれいちゃんは
他の子と何も変わらず よく笑い
ちょっと人見知りな女の子でした
夏が過ぎ 秋が訪れる頃には
みれいちゃんはスキップをしなくなり
お母さんにだっこされる事が多くなりました
みれいちゃんを抱く お母さんの姿はいつも
柔らかな微笑を湛えながらも
全身を震わせながら
我が子を受けとめていました
粉雪舞う冬の日
みれいちゃんはしずかに息を引き取りました
心臓移植は間に合わなかったのです
もう だっこをせがむことのない
そんなみれいちゃんを
お母さんは力いっぱいに抱きしめて
よく頑張ったね よく頑張ったね
と涙も見せず そう語りかけていました
いくつの春が過ぎても あの渡り廊下には
今でもおんまにだっこされた
みれいちゃんの笑い声が響いています
胸の傷
おしゃべりな弟に比べ
いつも一歩引いて
言葉少なに微笑んでいる
そんな姉でした
弟が突然入院し
生死の狭間を彷徨っている時も
涙を見せることもなく
救命救急センターの待合室で
じっと俯きながら
弟の帰りを待っている様な女の子でした
弟の病名は
原発性肺高血圧症で
長期の入院の後も
入退院を繰り返していました
友達とも遊びたい盛りであろうに
休みの日の病室には
いつもその姉の姿がありました
だんだん病状が悪化し
肺移植しか治療法がないと
その様な病状説明の席にも
彼女の姿がありました
悪い予感は当たるもので
両親は臓器提供者として不適当だと
そう判断され あの姉の肺が
弟に提供される事になりました
二十一歳の 何の病もない
その女性の胸を
大きくメスが刻んでいきます
弟の命を救った
姉に刻まれた大きな胸の傷
彼女の幸福を
心から願わずにはおられません
一泊二日
君は突然に右足が痛くなったと
病院を受診したのがきっかけで
骨肉腫っていう癌がみつかって
手術を受けたり
抗がん剤治療が行われたんだけど
結局君は 右足を切断することになって
十五歳で右足を失った君を
毎日毎日 君のお母さんは
いつも決まった時間にお見舞いに来られて
一日一緒にすごしておられましたよね
転移した癌の勢いが
治療の勢いを上回りだして
どういう最期を迎えさせてあげるか
という話がでたのが
君が十七歳の時の事
君のお母さんは気丈でした
医療者の目をじっと見て
一言も聞き漏らすまいと
静かに頷きながら
話を聞いておられました
彼女と一緒に旅行に行かせてやりたい
君のお母さんの提案で
君のお母さんの運転する車で
君の横には彼女が座って
一泊二日の旅行にでかけましたよね
君の亡くなる数ヶ月前の
小さな大旅行
最後の想い出と
右足の義足を残して旅立った君の事を
お母さんは今も気丈に見守っています
鎮 魂
今なら確立した手術法があるけど
当時はまだ何も
してあげることがなくてね
そう言って
先輩医師から渡されたカルテは
たかだか二十年前のものでした
紫色の唇で 黄色みがかった眼球
そのカルテに記載されているのは
二十八歳でなお
小児科に入院してくる
重い心臓の病気を患った青年でした
いつも一人で 面会に来るものもなく
まるで何もかもを諦めた様な
深く沈んだ眼差しで
ただ天井を眺めながら
一日を過ごしていました
あの青年も 今だったら
幼い頃に手術ができて
日常生活を送れていたかと思うと
やるせない気持ちになるよね
先輩医師がそう呟きます
その後数年して
その青年が亡くなった事を
人づてに聞いた時
私は同じ病気のあかちゃんの
手術の準備を行っておりました
救いたい命がある
その思いが医学をこれからも
一歩一歩進歩させていくことでしょう
その事が 救うことができなかった
多くの命への鎮魂となる事を
願ってやみません
病理解剖
お子さんは精一杯
本当に精一杯に
頑張られたと思います
それは辛かったと思います しかし
最後の最後まで
生きる事を諦めませんでした
小児科医をどれだけ続けてきても
子どもの死に慣れる事などない
むしろ そう
生々しい哀しみが
亡くなった子どもの数だけ蘇ってくるのだ
お母さんの前で突然意識を失った子もいた
元気になって帰ってくることを祈り
手術室に送り出したのが最期の姿で
手術中に死亡した子もいた
子どもの死は純粋で
誰もが生きる事を
最期の瞬間まで諦めず
命の灯は
潰えるその瞬間まで
眩しいほどに輝き続けている
亡くなった後に解剖が必要なお子さんの親御さんに
先輩医師が 静かに声をかける
この子が最期のその瞬間まで
一生懸命に 生きたその証を
一緒に見させていただけませんか？
そう
眩く輝いた命の証を
最期に見ておいてあげたい
それが病理解剖
阪急塚口駅
阪急塚口駅の踏切の横には
石を積んだ 小さな石碑が建っていて
いつも水が絶やさず供えられている
誰かがこの踏切に飛び込んだのだろう
いつも通る通勤路の
いつもの 見慣れた風景
そんな石碑を眺めながら
駅のホームへと向かう
本当なら家路に就くはずの
当直明けの夜十時
頭の中では患者さんのことばかり
ぐるぐると 回っている
ああ あの時の薬の量を
もう少し減らしておけば
あの子は脳内出血を
起こさずに済んだんじゃないか
知らぬ間に限界を超えていたらしい
先輩医師に勧められ
精神科に通い始めて十年が経つ
鬱病という病名
薬は年々増えていく それでも
私の心は悲鳴をあげ続けていたらしい
ホームのベンチには
通り過ぎていく特急列車の走る音
何台通り過ぎるのを眺めただろう
線路脇の石碑が呼んでいる
あれに飛び込めば楽になるのか
あれに飛び込めば許されるのか
あれに飛び込めば気づいてくれるのか
あれに飛び込めば
あれに飛び込めば！
気がつけば降り出した雨に
私は一人ベンチで濡れていた
不審に思った駅員さんに保護されて
自宅に送り届けられていた
悲鳴を上げた心が耐え切れなくなり
勤めていた大病院を後にする日が来た
有給休暇
大病院を去る前に
一週間の有給休暇をとった
生まれて初めての有給休暇
妻と有馬温泉に行った
硫黄の香りが立ちこめる
温泉街のおしゃれなカフェ
サイダーのビー玉が
陽の光を乱反射していた
もう夜中に呼び出される事もない
こんな世界もあったのだ
狭い世界で溺れかけながら
生きていた日々が嘘のようだ
主治医をした患者さんの顔が浮かぶ
泣いた顔 しんどい顔 そして笑った顔
みんなこれからどんな人生を歩むことだろう
そういう私も
抗うつ薬漬けの頭で
どんな人生を歩もうとしているのだろう
得たものと失ったもの
どちらが多かったのだろう
その様な問いを自分に投げかける
もちろん答えなどないだろう
サイダーのビー玉が
いつまでもきらりきらりと
陽の光を乱反射している
申し送り
窓から差す陽は柔らかく
一人カルテをめくる 日曜日の午後
病院を変わる前に
次の主治医に 患者さんを
引き継いでもらうため
一人ひとりのカルテに
申し送りを書いていく
申し送り
喘息にて継続加療中
半年発作なし
そろそろ投薬中止できると思われる
大きな発作を起こして
救急車で搬送した日の事が
まるで昨日の事の様
人懐っこい笑顔で
よくおしゃべりをしてくれる子だっけ
摘まれたカルテの数だけ
思い出があって
さよならする前に
自分の気持ちを整理する様に
記載していく申し送りは
カルテの最後のページに刻まれた
僕からのお別れの手紙みたいなもの
喉の診察が苦手です
根気強く口を開けるのを
待ってあげてください
一言そう書き加えて
君のカルテを閉じる
出会いがあり
別れがある
その間に思い出がある
それは
医者と患者も同じ事なのだ
名 前
お名前 梨里ちゃんに決められたんですね
お決まりの台詞で
私の一ヵ月健診は始まる
お子さんの名前を呼ばれたご両親の表情が
ぱっと 明るくなり
診察室の緊張が一気にほぐれる
緊張がほぐれた後は
ご両親から言葉が溢れ出す
この一ヵ月 どんな不安だったか
質問は止まらない
私は 私で 多くを語らず
笑顔で話を聞いている
ひとしきり話を聞いたら
ようやく あかちゃんの診察を始める
元気なあかちゃんですよ
そんな言葉で
みんなが笑顔のまま一ヵ月健診を終える
ある一ヵ月健診の事だった
お名前 健人くんに決められたんですね
いつもの決まり文句で
私は診察を始めた
なのにご両親は終始硬い表情
重たい空気のまま
私はお子さんの診察を始める
なんにも気になるところのない
本当に元気なあかちゃんですよ
その一言を聞いた途端
ご両親の目から涙が溢れ出す
実はこの子には兄がいて
一ヵ月健診で見つかった心臓の病気で
三歳で亡くなったんです
健人の健の字は
この子は健康に育ってほしいと思って
つけた名前でした
そうおっしゃると深々と頭を下げ
診察室を後をされた
母子手帳に 異常なし の判子を押す
判子を押す手にいつもより
少し想いを込める
眼差し
昨日の夜 カップラーメンのお湯が
手にかかって やけどになってるから
先生 診てください
そう語る母に連れられて
四歳の女の子が 診察室に入ってきた
その時のその子の眼差しを
今も私は忘れる事ができずにいる
先の見えない深い哀しみ
それを誰かに伝えようと
必死に訴えているかのようであった
体重を測ったところ
その子の体重は
一年間で全く増えておらず
唇をしきりに噛むので
その子の唇には血が滲んでいた
嫌な予感が拭いきれず
私は 児童相談所に
その日の出来事を
報告せずにはおられなかった
数日後の事
その子が 親からのネグレクトで
児童相談所に引き取られたと
連絡を受けた
家ではろくに食事も与えられず
給食をよくおかわりしていたとの事だった
四歳児のあの眼差しを
私は忘れる事はないだろう
今はお腹いっぱいご飯を食べて
安心して眠っているであろうか