３５７号 書評横尾 憲孝 さんの詩集『 小児科医のためのレクイエム 』（土曜美術社出版販売）
2025年10月20日刊より抜粋 ISBN978-4-8120-2913-8
定価（本体2,000円+税）
こういう言い方をすると、世の詩人諸氏からは顰蹙を買うかもしれないが、長年、詩を読んでいると、時たま出会うのだ、圧倒的な中身を持った詩に。そしてその圧倒的な中身を持った詩には、もはや表現とか、レトリックとか、言葉を弄する必要など何もないじゃないかと思えてしまうのだ。そんな「詩を超越した詩」とも呼ぶべき作品が、ぎっしりと詰まっているのが、この詩集だ。一冊読むあいだに、何度泣いたかしれないし、何度読んでも泣けてしまう。赤ちゃんやそれに近い年齢の命は純粋で、その死もまた純粋だ。そんな死に何度も直面することとなる作者の職業は、なんとつらい仕事なのだろう。そして全部を受け止めようとする実直な作者は、ついには自身が壊れてしまう。そんな経験を経ながら積み上げられた小児科医２３年の姿が描かれている。横尾憲孝さんは、これが第一集。全32篇を所収。
作品「ハナミズキ」。
本詩集中、この詩だけは唯一、表現が凝らされている作品、と言っていいのではだろうか。しかし、その手は悲嘆に暮れている。この子の命を救えなかった手など、枯れてしまえと言ってしまうのだ。
大病院の医療の最前線にいる作者。毎日、命に関わる病気を持つ子ばかりが運ばれてくるところだ。一般病院では手に負えないからと、回されてくるような子や妊婦が多いのだろう。生きるか死ぬか、その最期の鍵を、作者が担っている。過酷すぎる現場なのだ。それでも作者は、子どもの死に決して慣れることはない。救えなかった子の、後悔ばかりが先に走る。この詩もそんなワンシーンなのだが、火葬場まで通常来ることはないと思われるので、この子は生まれた時に家族に見放された子であろうか。それとも逆に長年治療に当たった子だから、家族に請われて来てるのであろうか。描かれているハナミズキは、火葬場の敷地に咲いているハナミズキなのである。
作品『さくらちゃん』。
「さくら」の名は、春が来るたびに、その誕生を祝えるように、ご両親が付けた名であろうに、残酷にも三度目の春に、さくらちゃんは亡くなってしまった。医者になって二年目で、担当する患者の死に初めて直面することとなった作者は、心臓マッサージの手をいつまでも止めることができない。心電図が死を告げたあとも、延々その手が止められない。信じたくないものに出会った瞬間なのだ。作者自身ももはや放心状態で手を動かしているのだ。心電図が止まってから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。とうとう作者は、初めての死亡宣告をすることになる。見れば、さくらちゃんは、もう疑いようもなく、死体の姿をしている。ずっと治療を続けてきた患者であるから、自分も最期に抱きしめたいと思うが、家族の許しがなければ、医師は抱きしめることができない。
患者の死は、医師にとっての敗北だ、との想いを深く刻む。いつまでも救われることのない、そんな魂の傷を負いながら、それでも医師である自分は、癒す間もなく、次の新たな患者と向き合わなければならないと思う。
作品『おんま だっこ』。
作者の勤務先は大病院の医療の最前線で、一般の病院では手に負えない、命に関わる病を生まれつきに持った子ばかりが来るようなところなのだ。この詩のみれいちゃんは、きっと在日コリアン何世かの人なのだと思うが、母親のことを「おんま」と呼んでいる。心臓移植以外、助かる見込みのない病なので、いずれ悪くなると作者にはわかっているのだが、みれいちゃんは当初、渡り廊下を軽やかにスキップしながら歩く、よく笑う女の子だったのだ。他の健康な子と、見た目なにも変わらなかった明るかった子が、秋になると、母親にだっこされる事が多くなる。母親はみれいちゃんを元気づけようと微笑みながらも、でも必死で我が子の運命を受け止めようと震えているのだった。
冬、心臓移植の機会を得ることなく、とうとう、みれいちゃんは亡くなってしまう。もう、だっこをせがむこともない、みれいちゃんを、力いっぱい抱きしめて、おかあさんは、よく頑張ったね、よく頑張ったねと、語りかけていた。
あの渡り廊下を通るたび、作者にはまだ、みれいちゃんの笑い声が響いているような気がしてならないのだ。
作品『胸の傷』。
冒頭、圧倒的な内容を持つ詩には、表現力やテクニックのようなものは不要、という趣旨のことを書いたが、少し訂正しておく。作者の優れた表現力は、難しい病気をわかりやすくし、複雑な過程を経たものも、セレクトして要所だけ伝えていることにある。しかも医療行為による説明ではなく、人間の様子によって、その変化を伝えている。作者はポリシーにおいて、この上ないヒューマニズムにあるだけでなく、表現力においても、人間主義の表現者だということを、伝えておきたい。
この詩も、作者の優れた表現力によって、誰でも読めばわかり、且つ想いが伝わる形に、見事に表現されている。私が解説を加える必要は何もないだろう。それこそが、作者の優れた表現力であり、テクニックである、と気づくべきである。そしてそこに多くを注力してるのは、「伝えることこそ大事」と考える作者の表現者としてのポリシーによるものである。ただ自身の文才をひけらかすためにだけ書いてる人とは、対極にあると言っていいだろう。
本作は、「兄弟愛」という言葉だけでは語り尽くせないものが描かれている。親の中には子の命のためなら、臓器提供する覚悟がある、という人もいるだろう。しかし、若く美しい盛りの２１歳の姉が、もしかしたらこれからの一生をふいにしかねない胸の大きな傷を、自身はどこも悪くないにもかかわらず、引き受けられるものなのだろうかと、その覚悟には敬服しかない。この女性の、今後の幸せを願わずにはいられない。そして、人の美しさとは、見た目の美しさではないと、つくづく思うのだ。
作品『一泊二日』。
骨肉腫。右足を切断したにもかかわらず、癌は転移し、癌の勢いは治療で抑える力を上回り、広がり、暴走する。たった十七歳の青年に、もう覚悟を決め、最期をどう過ごすかを考える時がきた。ふつうなら母親は手元におき、親子の時間を過ごそうとするだろう。しかし、このお母さんは、本当にこの青年のことを思いやっていたのだろう。大人になって結婚し、夫婦で暮らす。そんな人生を送るはずだった彼の失った未来を思いやり、その真似事でもさせたいと思ったのではないだろうか。彼女と一緒に旅行に行かせてやりたいと提案する。お母さんの運転で、青年と彼女を乗せ、一泊二日の旅行に出る。お母さんは何事かあるといけないから、同じ旅館に泊まるだろうが、部屋は別室だろう。二人だけにさせるのだろう。彼の未来にあったはずの、夫婦生活の真似事なのだ。それだけでも味合わせてやりたいと思ったのだ。なんと気丈な、そして息子を深く思いやるお母さんなのだろう。旅行はお母さんの運転であれば、そう遠くへは行くまい。遠くでなくても、ちっとも豪華でなくても、その人にとっての旅行の価値は違うのだ。この小さな大旅行は、三人にとっての、かけがえのないものなのだ。
青年が亡くなったあとには義足だけが残る。青年はあの一泊二日の旅行で、青年の何年か分の人生を補って、旅立てたのあろうか。どうか、そうであることを願ってやまない。
作品『阪急塚口駅9』。
４連、「当直明け」とは、夜勤明けということだ。夜勤明けで次の日も夜十時まで働いているのか、と思う。「本当なら家路に就くはず」とあるので、それも特別なことではなく、いつもの事であるようだ。心身を磨り減らす仕事であるのに、なんという勤務状況なんだろうと思う。
５連、ここで描かれている患者は、脳性麻痺となった患者のことである。まさに命が危ない状態で、命を救う懸命な処置を行っているさなか、投じた薬の一つが多かったのではなかったかと悔いている。結果、命は助かったものの、脳内出血という別の事態を引き起こし、その子は脳性麻痺の子となってしまった。医療事故ということではない。わずかな匙加減の話なのだ。その子のサイズであればこれくらい、というマニュアルがあるわけでもないし、またもし薬の量を減らしていたとしても、うまくいったかどうかはわからないというレベルの話なのだが、それでも結果として脳性麻痺の子にしてしまったことに、作者はひどく自責の念を抱いている。そのことがトドメとなったのかもしれない。これまでの亡くなった子の想いをずっと抱き重ねているところにそれが来た。また夜勤明けでも翌日も夜十時まで当たり前に勤務という、過酷な労働条件による疲労も蓄積し、作者はついに壊れてしまう。阪急塚口の駅で、雨の中でも、身動きできなくなっていた作者は、駅員に保護されてしまう。作者は限界を超えてしまったのだ。
作品『有給休暇』。
大病院には十年以上勤務していたはずだが、辞める間際のこれが、初めての有給休暇取得だという。有馬温泉は湯治場として歴史を持つところなので、休み期間の一週間のほとんどを、そこで過ごしたのかもしれないが、作者にとって有馬温泉は、同じ兵庫県内であるばかりでなく、たぶん一番近くにある温泉地のはずなので、そんな近場にも行けないような勤務状況であったのかと、あらためて思ってしまう。
もう夜中に呼び出される事もない
こんな世界もあったのだ
こんなところに感動する作者の言葉が、職場の過酷さをよく物語っている。
温泉地にきても、相変わらず患者の顔が浮かび、患者のこれからの人生を思いやる作者だが、同時に、抗うつ薬漬けになっている自分の方も、これからの人生をどう歩むのだろうと、我が身に翻ってしまう作者なのだ。
作品『名前』。
大病院を辞し、新しく勤めた病院は、キリスト教系の病院で、小児科は、外来診察と、自分の病院の産科で生まれたあかちゃんの診察しかしていない病院。大病院の第一線を張ってきた作者には、拍子抜けの職場であるのだが、しかしながら鬱病を抱えたままの作者は、それすらも当初、充分にこなせなかった。本当は逃げ出したい気持ちを抑え、勤務して三年。ようやく頭の中の霧が晴れはじめ、診察室に笑顔が戻り始める。完全に治るまでにはさらに十年がかかったという。どのように克服していったかは、詩集を読んでほしい。
『名前』という詩は、前の大病院の第一線では、するはずもなかった、一ヵ月健診の場にいる作者の姿がある。もう日常茶飯事のように、子どもの生死の境の場に立ち会う職場とは違うのだ。死の呵責に襲われる心配のない、病気・異常がないかを調べるだけの健診は、作者にとっては心を穏やかにして取り組める仕事であるだろう。そんな中にもドラマはある。表情を強張らせたままの両親の訳。名前に託された両親の深い想いに、また心を動かされる作者なのである。ある意味、一ヵ月健診で「なんにも気になるところのない/本当に元気なあかちゃんですよ」という言葉を言っただけで、こんなにも涙する人たちがいることを、作者は知らされることになったのではないだろうか。
作品『眼差し』。
あかちゃんはもちろんのこと、あかちゃんの年齢に近い幼児も、自分が思ってることをうまく言葉にできない子がいるものだ。この詩の四歳の女の子は、母親の前だから言えなかったんだろうか、それとも、会話も少なく、言っても悪い方にしか転ばない家庭内にあって、もうしゃべること自体を、諦めてしまっていたんだろうか。しかしその、深い底から訴えるような強い眼差しに、作者は気づく。体重を測ると一年間増えていない。しきりに唇を噛み、血を滲まさせていることから、嫌な予感が走り、児相に連絡することになる。
ネグレクトであった。家ではほとんど食事を与えられず、昼の給食だけで生き延びていたのだ。児相に引き取られたあの子は、いまお腹いっぱい食べられているだろうかと、作者は想いを馳せないではいられない。
この詩集の中には「アドボカシー（代弁者）」という詩がある。痛いと言えない子どもの痛みを、代わりに痛いと訴えなければならないという小児科医の教えだ。この『眼差し』という詩において、作者は見事にアドボカシーであったのではないだろうか。そして、身体の命を救う土俵から離れ、心の命も身体の命も両方救う土俵へと、作者は歩き始めたのではないのだろうか。
（島）