片 耳
気がつくと 駅に向かういつもの道
朝靄がでて すべてがぼんやり見えている
水路脇の駐輪場を抜けて
水路の橋を渡ると もう駅はすぐそこだ
すると 靄の中から いきなり背の高い男
黄色い髪に青い目
全身からきな臭い焦げたようなにおい
上衣が血と泥で汚れている
特に左肩のあたりが真っ赤に染まっている
顔も血まみれ 左の耳がない
訴える目で見つめられて 逃げることができない
かすれた声で話しかけてくる
意味が全く分からない
覆いかぶさるようにして なおも話してくる
いや 言葉が分からないのです
男 手を伸ばしてくる
指の背に毛が生えた大きな手
もの凄い力で肩を掴まれる
やめてくれ
体をねじって抜け出そうとする
体が離れた
と思った瞬間
なにか手に握らされる
生温かい ぬめぬめするもの
握った手から血
手を開くと
耳
切り取られた耳だ
あわてて振り落とす
その刹那
なにか 言葉
私の国を と小さく聞こえた
目を上げる
男の姿は消えていた
地面に 耳も見当たらない
あたりは静まり返っている
誰もいない路地
やっとのことで駅舎に着く
駅の中もやはり人の姿がない
カードをかざして 改札を抜けようとすると
改札口の向こうが真っ白だ
ここにも靄が溜まっている
大きくゆっくりと渦巻き
行く手に立ち塞がっているのである
処 刑
凍てついた朝
砂利道の坂道を
何人かで ぎしぎしと踏みしめて歩いている
坂の上には 黒くて四角い 窓なしの建物
気がつくと 肩には銃
ひどく重い銃が肩に食いこんでいる
いったい何故こんな格好で
こんなところを歩いているのか
黒い建物が近づいてくる
その前に 男が一人
建てられた丸太に縛りつけられている
それで すべて分かる
この男を処刑しようというのだ
周りを見ると
男たちはみな 大きな鋭い目
鷲の顔をつけている
銃を持っているのは 私一人だけだ
縛られた男の姿が大きくなってくる
目隠しをされ 頭に血濡れた包帯
口をかたく引きしめている
この男の命を 私が奪うことになるのか
とんでもないことだ
急いで肩から銃を外し
恐る恐る
隣を歩いていた男の脇腹にこすりつける
すると とくに驚きもせず
静かに受け取って肩に掛けるではないか
そして 銃を持たされた途端
顔の鷲の羽が抜けはじめる
痩せて不安げな まだ若い顔が現れる
銃を返されることがないように
私はその若い男の後ろに回り込む
ジャッ ザッ 軍靴の音をそろえて
私たちは処刑される男に近づいていく
鷲の顔はみな 縛られた男を凝視している
私もまた鷲の顔をしているのに違いない
命が奪われる瞬間を
見せつけられなければならないのか
それもやはり とても耐え難いことだ
そう思っていると
いつの間にか 建物の中に移動している
二階
大きく開いた窓
窓脇のテーブルの前に腰かけている
周りにもテーブル
鷲の顔の男たちが
寛いだ様子でお茶を飲んでいる
若い兵士が私にもお茶を運んでくる
黒褐色の ヤニくさいお茶
カップを手に取り すすりこむ
焦げついたような不快な苦さ
思わず 気づかれないようにカップに吐きもどす
窓の下に広場が見える
その中央に 縛られている黒い男
なんと さっきの場所を見おろしているのだ
急いで立ち上がろうとすると
後ろから大きな手
湿って脂ぎった手が伸びてくる
両手で顔をはさまれ 指が目のところに
目を閉じないよう 瞼を押さえつけられる
全ての音が消えている
銃が構えられている
時間が凍りついている
ガレキの町
道の両脇には崩れ落ちたり斜めに傾いたりした建物
ガレキが道の上にもはみ出してきている。そんな中
地上一メートル辺りに浮遊し ゆっくりＳ字を描く
ように移動していく。
これは 歩いているのではないな ぼんやりとそう
思う。こんな滑らかな移動 足音も聞こえない。積
み重なったガレキの上を難なく通過していく。目を
真下の方に向けてみると やはり腰から下が消えて
いる。足がない。
どうしてこんなことになってしまったのか。周りの
破壊されつくした町の様子からすると 何か災害か
あるいは爆撃のような惨事があったのに違いない。
そうすると その惨事に巻き込まれたということな
のだろう。
そう 他人事のように考えながら 移動し続けてい
る。何処なのかは分からないが しきりに惹きつけ
呼び寄せようとしてくる箇所がある。箇所ではなく
そこに待っている何者かがいる ということなのか
もしれない。
積みあがったガレキの山を越えて 浮遊し 移動し
ていく。ガレキの中に 黒い影が固まっているとこ
ろがある。それには近づかないように迂回しながら
飛んでいく。多分 そこには見ることが恐ろしい
何かが埋まっている。
右前方に白い倉庫のような建物。やはり片側が大き
く損壊している。MILKという文字が見える。すると
その影から牛が数頭。同じように地上一メートルあ
たりを浮遊している。足は消えていて見えない。鋭
い光る目つきで まわりを睨みながら向かってくる。
もう命が尽きているのだから 何も怖れることはな
いと思うのだが 思わず物陰に身を隠す。牛は六頭
いる。そのうちの一頭は大きさが半分位なので 多
分幼獣なのだろう。ゆっくりと通り過ぎていく。
その時 何やら聞き苦しい機械音のようなもの。か
すかな振動も伝わってくる。激しく近づいてくる。
牛たちは 慌てた様子で逃げ戻ってきて ガレキの
間に身をひそめる。牛も もう足が消えて ないの
だから 逃げる必要もないと思うのだが やはり恐
ろしいものはあるらしい。
激しい音はすぐ近くまで来たのだが 姿が見えるこ
とはなく、去っていった。しばらくして 牛たちも
姿を現し さっき向かっていた方に流れるように浮
遊していく。牛は 世話をしてくれていた人の姿を
探しているのかもしれないと思う。
私もガレキの間から身を抜き出し さっきの方向へ。
なにやら惹きつけられるものに向けて移動し始める。
私が追い求めているものは何なのか。私の遺体かも
しれないと気が付く。長い間 その中に棲みついて
いた体。もう戻れはしないのだろうが もう一度
しっかり見て 死を見定めたいのか。
ガレキの上を ゆっくりと浮遊していく。
Ⅱ.
竜がいた朝
新しい母がうちに来たのは 僕が五歳
の時だった。美しいが派手な感じの人で
僕にはなるべく近づかないようにしてい
るみたいだった。
父の再婚は初秋の頃。それから三か月
くらい経った 冬なのに妙になま温かい
靄がかかった朝。玄関を出ると 門まで
続いている石畳の通路に そいつはいた。
大きな鰐が寝ていると思った。鰐は動
物園で何度も見ていた。その頃 僕はな
ぜか鰐が大好きだった。そいつは 腹を
べったり地べたにつけて 眠りこけてい
る。しかし よく見ると 鰐にしては胴
周りが大きくて 後ろ足も長すぎる。そ
の足の先には 長くて鋭い鉤爪。
沼くさいにおいがした。息の音まで聞
こえそうな位置に立っていながら 逃げ
ようとか 家の人を呼ぼうとか そんな
ことは考えなかった。
もっと近づくと そいつは図鑑で見た
恐竜にちがいなかった。身体全体の力が
抜けきっていて とても深い眠りに沈み
こんでいるのが分かった。ぴたりと閉じ
た巨大な瞼 それを恐る恐る指で押し広
げてやる。瞼の下にはもう一枚 灰色の
膜が覆っていて 眼球は見えなかった。
その時 家の中から母の呼ぶ声。急い
で戻ると テーブルの上にパンとサラダ。
その日 父は早くから出かけていて 家
の中には僕と母しかいなかった。
早く食べて 冷めてしまう と母。ト
ーストをひと口食べると それはもう冷
めてしまっていた。トーストを半分くら
い食べてから 僕は思いきって言った。
母さん 玄関の外に 鰐みたいなのがい
る。母さんと呼んだのは この時が初め
てだった。母は何も言わず 暖炉の火か
き棒を手に取ると 玄関の方に歩きだす。
後ろからついて行くと 玄関の外 も
う恐竜はいなかった。けれども そいつ
がいたところは黒く濡れて残っていた。
大きな鰐がいたねえ と母は言った。た
しかに その黒い影の形は 鰐そっくり
だった。そして母は 僕の首すじを 猫
の子をつまむみたいに掴んできた。そん
な風に母に触れられるのも初めてだった。
本当に恐竜がいた と僕は言おうとした
が出来なかった。 ご飯 食べちゃおう
よ。母に首すじを掴まれたまま部屋に戻
る。母は僕をぎゅっと抱き寄せると そ
のあと トーストを温めなおしてくれた
のだった。
冬の時代
若かった頃 一年間だけだが 夫婦すれ違
いの生活をしたことがある。寒い時期が特に
辛かった。
夜勤の仕事を終えて僕がアパートに帰るの
はいつも七時過ぎ。女房は少し前に勤めに出
ているので ごくわずかな時間差で朝は会う
ことができない。
眠くてたまらない僕は 食事にも手をつけ
ないで蒲団に入る。すると ほんの少しだけ
女房の温もりが残っている。
その温もりに凍えた体を押しつけながら
今頃は多分バスの中にいる女房のことをぼん
やり考えている。手足が冷えていて なかな
か眠りにつけない。ひたすらじっと温もりが
体に行きわたるのを待っている。
カーテン越しの窓の外の光が 少しずつ明
るくなる。窓の前の通学路を通る子供たちの
声も 賑やかになってくる。そんな世間一般
の世界から 僕はゆっくり眠りの闇の中に沈
み込んでいくのである。
Ⅲ.
雲の眼
毎朝 顔を洗ったあと
しばらく 窓から空を見ている
このごろ気になるのは
ときどき雲に眼があることだ
雲が集まり折り重なっていると
合間から 巨大な眼が見ている
睨みつけるとまではいかないが
じっと私を見ている
鯨が 泳ぎ過ぎて行きながら
船の上の人を見ているような
威嚇でも慈愛でも無視でもない
巨大な意思が
ただ じっと見つめている
とても
天気がとてもいい日曜日
リュックを買いに出かける
店を三つ回るが 気に入るものがない
代わりばえしないものばっかり
リュックは大体同じような形になるのだと
黒メガネの店員
そんなものかもしれない
すると 隣の店先に変わった四角いリュック
手に取ってみる
それは違いますよ
楽器の形が外側に浮き出ている
サキソフォンの収納用です
そうかもしれないが
楽器を入れなければ荷物が入る
サキソフォンと言えばチャーリー・パーカー
むかしパーカーに心酔していたことがある
それでは これを
リュックじゃないんですよ
そんなことは構わない
どうでもいい
老い先短い人生なので
そう言うと
店員 もうなにも言わない
包まなくてもいいよ
楽器が入っていないのでじつに軽い
そいつを背負って
久しぶりだ この身の軽さ
店員のあきれた顔が嬉しい
るんるんって こういうこと？
キツツキ
死は キツツキの顔をして
男の肩に ちんまりと坐っていた
男はそれでも 背筋をのばし
病室の窓の方に顔を向けつづけていた
男にはもう 話をする気力が
尽きているのかもしれないと思った
昔 世話をしてもらい有難かった
さっきも言ったことを 言葉を変えて話しかけた
急に 男の身体がぐらりと揺れた
手で口を抑え 空咳を堪えているような仕草
そのまま 二度 大きく頭をさげた
帰ってくれということのようだ
病室を出ようとして振り返ると
キツツキは まだ男の肩の上にいて
灰色の目で 遠くを見つめつづけていた
Ⅴ.
バクのはなし
夢を食べて また夢を食べて
バクは夜の町を流れ漂いつづけているのでした
すこし長めの鼻をのばして
悪い夢を嗅ぎつけては食べてしまう
中には
悪いというより変なだけというのもあるが
構やしない
夢を食べられるのに気づきもせず
このオジサン歯を食いしばって眠りこけている
夢の中では
三十年前に死んだバアチャンと会社の女社長が
腰ミノをつけてフラダンスを踊っている
夢に怒っていない社長が出てくるなんて初めてだ
ジャージの体操服の上から腰ミノをつけて
お尻を振っている
バアチャンしたり顔で社長に手の仕草を教えている
変な夢だな こりゃあ パクリ
腰ミノだけだったらいいのにな パクリ
食べるとまた フイと飛びあがり
家々の屋根をかすめて流れていく
もうすぐ夜が明けてしまう
長い鼻も腫れぼったくなってくる
ほんのすこし
東の空の端がスミレ色に染まってくると
もう今夜の仕事はおしまい
え こんなのが仕事なの
バクは答えもしないで
いきなり
吸いあげられるように 空に飛びあがり
まだまたたきつづけている星たちの
その中のひとつになって澄ましているのです